アジア太平洋戦争と「八紘一宇」

 

()(こう)(きょう)事件」を発端に日中全面戦争が始まりました。中国戦線では死傷者が増え、国内では生活苦と戦争への不満が高まりました。その不満をそらし、戦意を高揚させるために「紀元二千六百年奉祝記念祝典」が日本全国で大々的に行われました。

 相川知事は、紀元二千六百年を迎えるに当たり、宮崎が“皇祖(こうそ)発祥(はっしょう)の地”であることを強調し、「(あめ)紘之(つちの)基柱(もとばしら)八紘一宇」の塔の建設を提唱しました。

 「八紘一宇」とは、「天皇支配のもとで、世界を一つの国にする」という意味です。明治以降、日本は、欧米列強に(おく)れをとるなと領土拡張の野心に燃え、(にっ)(しん)戦争、日露(にちろ)戦争に勝利し、「満州」(現中国東北部)に支配を広げ、「大韓帝国」(韓国)を併合し、さらに日中戦争を引き起こしました。

 塔の完成間近い1940(昭和15)年9月、日本は「(にち)独伊(どくい)三国同盟」を結び、翌4112月、東南アジアに資源確               

 保と植民地拡大を目指してマレー半島コタバルに侵攻、続いて日本の中国侵略に反対するアメリカの真珠湾を攻撃、アジア・太平洋戦争へ突入しました。

 「八紘一宇」の塔は、国民を戦争へ一致団結させる精神的な支柱となりました。

 しかし塔が建立されてから4年9ヶ月後、日本は戦争に敗れ、侵略と軍国主義のシンボルであった八紘一宇の文字と四神像のうち荒御魂、他に由来碑文、大日本国勢記定礎式の辞は占領軍の命令で撤去されました。