「平和の塔」になぜ「八紘一宇」?


ここは、海抜60mの高台にある観光名所「県立平和台公園」です。南西に宮崎市の中心街を見下ろすことができ、東に遠く阿波(あわ)()()(はら)の松林と広大な日向灘(ひゅうがなだ)を見渡すことができます。巨大な石造りの塔「八紘(はっこう)一宇(いちう)の塔」は、1940(昭和15)年、日本建国「紀元二千六百年」を祝って建てられました。「紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と名付けられ、塔の正面には「八紘一宇」の文字が刻みこまれました。人々はこの台地をやがて「八紘(はっこう)(だい)」と呼ぶようになりました。

  1937(昭和12)年7月宮崎県知事に任命された相川勝六は国策を先取りするように“紀元二千六百年”を祝う記念物、御幣(ごへい)〞(神主の祭事用具)の形をした塔の建設構想を発表。彫刻家日名子(ひなご)(じつ)(ぞう)(大分県出身)が(ほこ)(たて)を組み合わせてデザインした塔は、石柱の高さ364m (120)、日本一の高さを誇りました。

 塔の石は、国内はもとより植民地台湾・朝鮮、傀儡(かいらい)(こく)満州など海外の日本軍・日本人団体からの献石でした。日本軍が中国の戦場から送った石には貴重な文化財も見られます

「八紘一宇」は、日蓮宗(にちれんしゅう)(けい)国柱会の会員で国家主義者の田中()(がく)が世界統一の柱として1913(大正2)年、日本書紀の「八紘為宇(いう)」を引用して造語したものです。

1940(昭和15)年7月、混迷(こんめい)する世界情勢の中、第二次近衛(このえ)内閣(ないかく)は、「基本国策要綱」において「八紘一宇」の実現を国是(こくぜ)と定め、「大東亜新秩序建設」を進めるとともに国民に戦意高揚を求めました。 

「八紘一宇」とは、「天皇支配のもとで、世界を一つの国にする」という意味です。明治以降、日本は、欧米列強に(おく)れをとるなと領土拡張の野心に燃え、(にっ)(しん)戦争、日露(にちろ)戦争に勝利し、「満州」(現中国東北部)に支配を広げ、「大韓帝国」(韓国)を併合し、さらに日中戦争を引き起こしました。