石の証言

 

東京五輪(オリンピック)後、1971(昭和46)年新たに黒木知事によって書き込まれた由来碑文に「世界各地に在住した日本人団体及び友好諸国から寄せられた」とありますが、実際はどうでしょうか? 

【送り主が刻まれている石、 1 7 8 9 個の内訳】

   日本の植民地と占領地から-----364個

 ・ 台湾~41 ・樺太~1 ・朝鮮~123 ・パラオ~1

 ・ 中国(中国占領地、日本軍支配地満州・関東州)~198

 ○ その他--------------  9個

 ・ カナダ~3 ・アメリカ~2 ・フィリピン~1

  ・ ドイツ~1 ・ ペルー ~1 ・シンガポール~1

 ○ 宮崎県、国内から--------1416個

  海外の石のほとんどは、日本が軍事的に支配していた所から運ばれています。ドイツの石を除いて、全て海外日本人団体の献石で、友好国のドイツからは民間の砕石工業会社からの石です。満州国や中華民国の特別市など国名が刻んである石がありますが、日本が侵略していた国々を「友好諸国」と呼べるでしょうか。 

 相川知事は朝鮮総督府勤務時代に関東軍の板垣征四郎(いたがきせいしろう)と知り合い、陸軍大臣となった彼に献石を頼みました。板垣は中国で戦闘中の日本軍全軍に「軍又は師団毎に各々二個を標準とし内一個は軍所在地付近のもの、一個は第一線のなるべく皇威の及べる極限点付近のもの」と採集・送付を命じました。日本軍が奪った戦利品であることは明らかで、友好的に寄せられたものではありません。

 

南京日本居留民会 (中国)

 

塔に向かって右に薄茶の石灰岩に麒麟(きりん)(ちょう)()(れん)を配した見事なレリーフがあります。南京市博物館長、王興平氏は、「明の永楽帝時代の皇帝・貴族の文様で中国に返還されれば国宝になると思う」と鑑定し、「日本居留民会は、日本軍の庇護(ひご)のもとに中国人を弾圧しました。石は奪い取られたのも同然です。」と指摘しました。   

中支志賀中山隊 ((しゃん)(はい)

 

私たちは、1994年に行った調査で、孫文が計画し(しょう)(かい)(せき)が建てた大上海都市の「上海市政府庁舎」、現上海体育学院の門に、肌色の花崗岩の唐草と同じ模様を見つけました。 

四方の門の内、日本軍の攻撃で破壊(はかい)された東門だけ唐草模様がなく、セメントで修復されていました。花飾(はなかざり)模様、龍・虎の浮彫りや寺院風の(あお)()()(がわら)の独特な「民族形式」の特徴を持つ屋根、半植民地からの脱出を目指す中国民族を象徴した建物です。        

  上海体育学院の李金虎副教授は「八紘一宇」の説明に、「お!大東亜共栄」と思わず日本語で驚いていました。 


綏遠省黒田石黒隊

現在の内モンゴル自治区清水河県。綏遠省はアヘンの生産地で、日本軍は傀儡政権をでっち上げ、アヘンで密貿易をやらせ、それで得た軍事費で中国軍の掃討戦を繰り返していました。ここに駐屯していた黒田・石黒隊は彫刻のある大理石の石を送ってきました。フフホトの内蒙古自治区博物館の清隆副館長は、「清代後期の墓石ではないか。科挙資格者の高位の人の寺か墓にある石」ではないかと話し、縦に置くべきものを横にしていると指摘しました。

独逸採石工業会社

灰褐色の小さな孔の多い石の上方にドイツ語で送り主が彫り込まれています。ベルリン日本人会は、フェッター石材会社からこの石を購入して宮崎に送りました。